私事

昨日の続き・・・

師匠の話題をもう一度したいと思います。師匠の人生を考えてみたときに、私は、印象に残っている話があります。それは彼が、20代後半の時、実は脳腫瘍なっていたということです。私はその話を聞いた時、まだ20代の前半でした。奥さんと師匠がその話をしてるのを聞いて驚きました。「師匠本当に脳腫瘍なんですか。」不思議な事に師匠の脳腫瘍はある日突然消えてしまいました。医療関係者ですから。うそではありません。その時の MRI 検査や、 CT 検査のフィルムについても話をしてくれました。大脳に大きな腫瘍がはっきりと写っていたと聞きました。脳腫瘍になって師匠は、歩行ができなくなりました。頭痛と吐き気に襲われる日々が続きました。そして、ある日、夢を見たのです。そこでは、所謂三途の川を渡っている自分の姿があったと聞きました。そして、三途の川をわたっている自分を師匠のおじいさんが、引き止め「お前は、こっちへ来てはいけない。帰れ」と言われたそうです。そして、その後、師匠の脳腫瘍はなくなりました。その後、師匠は、口癖のように言い始めました。「人生1回きり自分の思うように生きなければいけない。自分が充実する人生を行きなく... 詳細を見る

私事

師匠・・・

 モントリオールの空港に到着した後、私の携帯電話が鳴った。日本にいる友人からであった。(何かあったの)・・・・が死んだ。・・・・が死んだ。私は、誰が死んだのかよく聞こえなかった。よくよく聞いてみると、私が20年前からお世話になっている師匠と呼んでいる友人の死であった。友人は、涙声になっており、詳しいことは、全くわからなかったが、彼が、死んでしまったという。事実は何となくわかった。思えば、私は、彼に導かれて、医者になり、自分の人生の門出をしたんだと思う。彼が私に仕事を楽しむことを教えてくれた。彼は、比較的大きな病院である部署の部長をしていた。最近は、県の医療の仕事をしていたと聞く。そして、彼はその仕事を心から楽しんでいた。普通であれば、50歳を過ぎて、仕事を熱心にしている人は、極めて常識的である。しかし、彼は、その仕事の内容からは、信じられないような非常識までにも、楽しい人生を送っていた。こんな感じである。ウィークデイには、夜遅くまで熱心に仕事していた。しかし、週末になると、別荘にこもってドラムを叩き酒を飲み、たばこを吸い、そして、朝早くからオートバイを走らせていた。別荘には、女子供は、... 詳細を見る

私事

高知 がん治療 代替医療

 昨日の夜は風邪から立ち直って、治りすぎて元気になりすぎて夜トレーニングしたにもかかわらず全く疲労感がなかった。 おかげで眠れなかったのでオバマ大統領の演説を聴くことができた。それよりも何よりもアメリカ人の底力というか、希望とか未来とかに対する素直な熱狂を感じることが出来ました。 ワシントンの気温はマイナス7度とか・・・・・・、そんな寒い中全米から人々が集まってきて新しい歴史の変化の現場に立ち会いたいと200万人にも上る人たちが集まっているではありませんか。 マイナス7度のなか演説を聴きたいからとテントに寝袋で泊まっている若者の笑顔が驚きでした。私も学生時代は山奥にテントをはりそこから大学に通っていた時期もありましたので寒さの辛さは知っている積りです。 マイナスになると寝袋のなかも特に足元が冷たくなってきて、なかなか眠れないものです。テントの中で暖房は危ないし、風が吹いてテントの中も寒いのが実情です。 それなのに、このアメリカの若者はすごいなと!!心底感心しました。国民的にも夢や希望や未来への展望といったものを大切にする気持ちがあるのでしょうね。その点では素直にアメリカの力をかんじます... 詳細を見る

私事

学生時代の思い出

学生時代、もう20年位前私は大学生だった。その頃、私はどんな医者になるかはっきりとした目標もなく、信念もない、ごく普通の学生だった。ただ、普通の学生同様、患者さんの治療をすることを自分の人生の仕事として選んだ若者であった。私が医師を目指したのは母方の叔父に2人の医師がおり、母も若い頃その仕事を手伝っていたことが大きく影響している。叔父は私にもいつも優しくそして母にもいつも優しいおじだった。叔父は私の祖母、つまり母親の母に大しても非常に孝行息子であり、祖母にとっても母にとっても愛情の交流が多くあった人物だった。私にも当然優しく、子供のいなかった叔父夫婦は私たち兄弟、そして私のいとこたちを非常に可愛がってくれた。その叔父を私が尊敬していた理由は貧しい患者さんにも非常に優しい対応をしていたと聞いたからだった。患者さんに優しい医師、貧しい人にも優しい人。当時は昭和40年代でまだまだ日本は貧しい国であった。多くの家にはまだカラーテレビがいきわたっていなかった。そして、徐々に国民全体が豊かになりつつある、そんな時代だった。また、私自身も小児喘息を患っており、小学4年生までは満足に授業に出たことがな... 詳細を見る