学生時代、もう20年位前私は大学生だった。その頃、私はどんな医者になるかはっきりとした目標もなく、信念もない、ごく普通の学生だった。
ただ、普通の学生同様、患者さんの治療をすることを自分の人生の仕事として選んだ若者であった。

私が医師を目指したのは母方の叔父に2人の医師がおり、母も若い頃その仕事を手伝っていたことが大きく影響している。叔父は私にもいつも優しくそして母にもいつも優しいおじだった。叔父は私の祖母、つまり母親の母に大しても非常に孝行息子であり、祖母にとっても母にとっても愛情の交流が多くあった人物だった。

私にも当然優しく、子供のいなかった叔父夫婦は私たち兄弟、そして私のいとこたちを非常に可愛がってくれた。
その叔父を私が尊敬していた理由は貧しい患者さんにも非常に優しい対応をしていたと聞いたからだった。患者さんに優しい医師、貧しい人にも優しい人。
当時は昭和40年代でまだまだ日本は貧しい国であった。多くの家にはまだカラーテレビがいきわたっていなかった。そして、徐々に国民全体が豊かになりつつある、そんな時代だった。

また、私自身も小児喘息を患っており、小学4年生までは満足に授業に出たことがなかった。毎年一年の3分の一程度は入院していたのである。その頃喘息の治療はひたすら点滴をして、ステロイドやネオフィリンなどの薬を点滴されていたように思う。

一年の3分の1を学校に行かずに入院している生活、私は子供ながらに自分が病弱で満足に学校にも行けず行っても体育の授業はほとんど見学、そんなひ弱さが自分だと考えていた。

だから、自分が大人になったら必ず病気の子供たちを治してあげる医師になろうと考えていた。その条件は優しいお医者さん、貧しい人にも平等なお医者さんであった。