現代人は正義執着がひどい。子供にも正義、移民にも正義、生活保護にも正義、それはそれでいいのだが、その前に子供は未熟であり大人が教育するべき存在である。その子供の自主性とやらに任せていると快不快でしか判断できない子供に倫理観や責任感は育たない。
移民にも正義である、郷に入れば郷に従えという日本の道徳や風習があるが、移民にも正義を無限に与え移民の価値観、それが移民の中でも厄介な犯罪者であっても彼らの価値観を尊重するなんて言うトンデモ正義が横行すると、アメリカの民主党みたいになる。
生活保護にも正義、これは現場の医師としてはっきり言うと、ばかばかしくなる。今日も生活保護の患者がリハビリを終えて今からどこへ行くんだと聞いたら、ニコッと笑ってパチンコと言っていた。彼らにも正義があり権利がある。しかし義務がない人生はどうかと思う。義務があってこその権利だし自由も満喫できるんではないか。
こういう従来の普通の倫理観や正義感が、新しい進歩的な正義でとって変わられている。正義というものは進歩的な方がより正義らしい、笑うしかない。
「だったら学校健診なんてやめてしまえ」医師たちがグチる現代の「正義」(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース
*************************
だったら学校健診なんてやめてしまえ」医師たちがグチる現代の「正義」
小学校の健康診断で、児童の脱衣が「セクハラだ」と言われる昨今。しかし、その正義は本当に子どもを守っているのだろうか?過剰なコンプライアンスに医療が潰される日は、確実に近づいてきている。※本稿は、里見清一『患者と目を合わせない医者たち』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 触診をセクハラと言われたら 診察もまともにできない 私の病院の外来診察室には、患者さんが待合から出入りするドアの反対側に、職員用の通路への出入口がある。ここのドアを開けておくべきか閉めておくべきかが議論になった。 プライバシーへの配慮からすると閉めた方が良いが、一方でそうすると患者と医者が密室で2人きりになり、たとえば私が若い女性患者を診察する時など、あらぬ疑いをかけられかねない。 折衷案として、ドアは開け、そこにカーテンを吊って「閉めて」おく、となった。 大袈裟に言うと、ここでは「透明性」と「プライバシー」という、現代の2大正義が衝突している。アメリカの正義と中国の正義、なんて話を持ち出すまでもなく、「正義」は1つではない。 児童生徒に対して行う学校健診にはいくつかの項目があるが、そのうち心臓の聴診や脊柱の診察(側彎症のチェックなど)は、上半身を脱衣してもらわないとまともにできない。 だが最近は保護者側から、肌着の着用を求める声が強く、学校はそれに抗えない。日本医師会の理事さんも定例代議員会で、「現時点では脱衣について統一した見解を示すのは難しい」と話したそうだ。 一方で見落としによって学校医が訴えられた事例の指摘もある。
医者向けのポータルサイトではこの件に関し、「だったら学校健診なんてやめてしまえよ」などと、ふてくされた声が多かった。 実際に医師会では現在の健診項目の一部が「児童生徒や保護者の考え方、変化する社会情勢に必ずしも適応していない」から、「あり方について関係者と協議する」という考えが示されたようで、トラブルを防ぐために、本当に健診の方を一部やめそうである。やめれば「見落とし」もなくなるが、いかにも乱暴な解決法である。 ● 子どもたちの健康より 現代の「正義」を優先すべきか? だいたい、医者の診察の多くは診療目的以外でやったら「セクハラ」とされても仕方がない行為だが、診察室の中でもそれを封じられたら仕事にならない。 こうした行為をあえて忌避する、「患者への配慮」という現代の「正義」は、子供たちの健康を維持する学校健診の目的よりも優先するのだろうか。 この例に限らず、一旦確立してしまった「正義」に異を唱えることは非常に難しい。 以前、曽野綾子(編集部/小説家)さんは、公的な審議会の議論をすべて公開で行う方針を批判された。 「密室での議論は不可」と言っても、誰にも彼にも筒抜けの場では言いたいことも言えなくなるのは我々みんな知っている。なのに「透明性」が正義とされると議論の中身よりも優先するのである。曽野さんの抗議により「密室での議論」が復活したという話は聞かない。 ● アメリカでは診察記録の開示で 患者がパニックになることも アメリカでは、その「透明性」もしくは「情報開示」という錦の御旗のもと、患者が診療記録を直接閲覧できるようになり、担当医よりも早くCTのレポートや病理の診断を自分のスマホでチェックしてしまうという。 多くのアンケートでこの開示は患者の支持を受け、「正義」となったが、テキサス大学教授のガーバー先生という方が立ち上がり、強く反対した。
ガーバー先生によると、医学用語で書かれたレポートを読んで誤解した患者がパニックになって担当医のところへ押しかけるなんていまや日常茶飯事だそうだ。 また通勤の途中や会食の最中、さらには子供を寝かしつけている時、親の葬式のまっただ中などに「あなたは癌だ」なんてレポートが来てしまってショックを受けたという患者の例も多い(「そんなの読まなきゃいい」と言われるかも知れないが、病院からの知らせは読まずにいられないだろう)。 レポートを誤解し、悲観から自傷行為に及んでしまった人もいるそうだ。 これらは当然予想されたことで、ガーバー先生の同僚もみな個人的には賛成してくれるのだが、「反・患者だと思われてしまうから、逆らわない方がいい」と言われてしまったそうだ。 ガーバー先生は多くの医学雑誌にこの情報開示反対論を投稿したが、なかなか掲載してくれなかった。ある編集者は「あなたの意見はその通りで、私自身も同様の経験があるのだが、これはもう決まってしまったことで、どうにも仕方がない」と断ってきたという。 それでもガーバー先生は粘り強く活動を続け、3つの州で情報開示を72時間程度遅らせ医者側に対応の猶予を与える州法の成立にこぎ着け、他の州もこれに倣うよう主張を続けている。 ● 見方を変えるだけで 正義のヒーローも悪になる つくづく、正義は偏狭である。以下、ネットビジネス・アナリストの横田秀珠さんという方が出されたのが元ネタだそうだが、「2つの違い」について考えてみる。 Aは自分自身の具体的目標がなく、相手の夢を阻止するのが生き甲斐。Bには大きな夢・志・野望があり、目標達成のため研究を怠らない。Aは何かトラブルが起こってからはじめて行動するのだが、Bは先手先手で仕掛け、日々努力を重ねる。 Aは1回負けただけで落ち込むが、Bは失敗を怖がらず、へこたれない。 Aは単独行動で素性を隠し、人がついてこないが、Bは隠し事なく支え合い、組織で行動するし、指揮系統がはっきりしていて仲間割れしない。 Aは常に怒ってばかりいて、怒りを武器にするが、Bはいつも大笑いしている。
ご存知の方も多いだろうが、種明かしをするとAは「正義の味方」、Bは「悪の組織」なのである。 解説は野暮だが、仮面ライダーとショッカー(例が古すぎる?最近の仮面ライダーの敵は何であるのか私は知らない)を思い出してみるとよく分かる。ライダーはいつも怒りに震えていて、ショッカー幹部はのべつに大笑いしている。 財務省の知人に言わせると、予算請求は「すべて正義」なのだという。 病人を救え、弱者を助けろ、災害から人々を守れ、生活を便利にしろ、科学を発展させろ、そのほかもろもろすべて「正しい」。「だけどカネがない」と、そういう「正義」の実現に異を唱える財務省はショッカーなみの「悪の組織」とされる。 我ながらやたらと財務省の肩を持つようだが、むろんそんなつもりはない。ただ、確かに世の中の「正義の味方」は威丈高で、怒ってばかりのように見える。それはやはりどこか間違っているのではないか。 その「正義」はいつまで続くのだろう。

