モントリオールの空港に到着した後、私の携帯電話が鳴った。

日本にいる友人からであった。

(何かあったの)

・・・・が死んだ。

・・・・が死んだ。

私は、誰が死んだのかよく聞こえなかった。

よくよく聞いてみると、私が20年前からお世話になっている師匠と呼んでいる友人の死であった。

友人は、涙声になっており、詳しいことは、全くわからなかったが、彼が、死んでしまったという。事実は何となくわかった。

思えば、私は、彼に導かれて、医者になり、自分の人生の門出をしたんだと思う。

彼が私に仕事を楽しむことを教えてくれた。

彼は、比較的大きな病院である部署の部長をしていた。最近は、県の医療の仕事をしていたと聞く。

そして、彼はその仕事を心から楽しんでいた。

普通であれば、50歳を過ぎて、仕事を熱心にしている人は、極めて常識的である。

しかし、彼は、その仕事の内容からは、信じられないような非常識までにも、楽しい人生を送っていた。

こんな感じである。

ウィークデイには、夜遅くまで熱心に仕事していた。しかし、週末になると、別荘にこもってドラムを叩き酒を飲み、たばこを吸い、そして、朝早くからオートバイを走らせていた。

別荘には、女子供は、来てはいけない。そう嘯いていた。

私は、最近、義務で仕事をしていないか。
義務で父親になってないか。

考える事がある。

師匠の姿を思い出すと、自分が子供の頃と同じ感覚で人生を楽しめることが、どれだけ素晴らしいことか。

考えてしまう。

人生あと何年生きられるかなんてわからない。
私はこんな仕事をしているから。

食生活や運動等のライフスタイルは長生きできるようにコントロールしているつもりである。

しかし、長生きしたとして、その人生が自分のやりたいこと追求する人生でなければ、何の意味があるだろう。

私は、私の人生をこの統合医療にささげたいと思う。

そして、師匠が、私に教えてくれた。人生を楽しむ感覚を追求していきたいと思う。

亡くなった師匠には心からご冥福を祈りたい。