ガンの患者さんで末期がんが治った話を聞くことがある。聞くこともあるし、書物でも読むことがある。
現代医学では説明がつかないが、統合医療の立場から考えてみるときっと免疫力が向上したのだろうと思われる。
しかし、免疫療法をしても末期がんの患者さんがみんな良い結果になるわけでもない。
やはり、早期がんのほうが治る確率は確実に高いとおもう。

しかし、・・・しかしである。末期がんで治療をやりつくして抗がん剤の副作用でボロボロの体になった人が免疫の力だけで完全に治癒したり、ガンの進行が止まるのはなぜだろうか?
プラシボ効果だろうといって思考停止してはいけないと思う。そこに何があるのかを探らなければならない。
私なりに考えてそのように急激に改善した患者さんにはいくつかのパターンがあると思う。

1、今までの自分の人生に感謝の念がわいてきて涙が止まらなくなった。その後徐々に回復して行ったパターン。
2、急に自分が神や宇宙や自然とつながっていると思い始め、多くはそれが解ったという。その後徐々に回復するパターン。
3、まるで自分ががんになって生まれ変わったことに気がついた、というパターン

などがあるようだ。そのいずれにもあるのは人生観が変わるほどの思想の転換があったということだ。決して強い意志を持っていたから治ってきたというわけではない。そこが不思議でもあるし、逆に言うと自分の意志などよりも自然に気がつく、または自然や宇宙や神などの超自然的なものから啓示を受けるようにして考え方や感じ方が変わるときに治癒に向かうような印象を持っている。

そういったことから精神世界にもともと興味があったのもあり、今回縁あって阿字観という瞑想法を習うことになった。

『阿字観(あじかん)とは、日本では主に平安時代の弘法大師によって伝えられた瞑想法を指す。阿字観ヨーガ・密教ヨーガとも言うが、現代では中国密教の古法の「唐密」(タンミィ)とチベット系の「西密」(シーミィ)、チベット密教においてはニンマ派の大成就法である「ゾクチェン」のそれぞれにも、異なる密教の『阿字観』が伝承されていることが知られている。』(wiki pediaより)

しかし、昨日どうして急に阿字観体験をしたかというと、知人の小山先生(ドクターオヤマ診療所院長)に誘われたからである。小山先生はこの手の精神世界の私の先輩でもあり友人でもある(と私は勝手に思っている)
個人的にも、もともと、仏教の中でも小乗仏教(修行して悟りに至る)に興味があったが、世間の生活にまみれていてなかなか個人的な精神的な修行には思いが至らなかった。修行するからには世間の世俗にまみれた生活をしていてはいけないという自分の中の思いがあり、自分のように世間で世俗的な生活をしてる人間には程遠いものであるという気恥ずかしさがあった。

それは今も変わりなく、観音寺というお寺の住職氏から氏の12年間に渡る比叡山での修行の話を聞くと自分にはとてもとても・・・・と腰が引けてしまうのも事実である。でも、修行の話はきっと楽しいだろうと思う。これから通いながら色んな話を聞いてみたい。

しかし、そうはいっても今回は思い切って参加してよかったと思う。山の中で夕方6時30分から阿字観の瞑想を習ったのだが、実にすがすがしい気分になった。瞑想をする前には清浄体操という、ヨガの原型のような体操もあった。その体操をしばらくした後に瞑想に入った。半か(足へんに加える)座という簡単な胡坐をかいて瞑想するのだが、半眼になり目前に置かれた「満月」をかたちどった衝立のようなものをみながらひたすら数を数える方法である。

あっという間に30分が過ぎて、自分には15分くらいに感じた。途中眠くなり一瞬寝ていた様でもある。和尚さんはそれに気がついていて「途中寝ていましたね、でもその後また瞑想に帰ってきてくれたので良かったです」といわれた。

寝ていたのか、瞑想のなかで幻を見たのか、満月を浮かべた空に雲が流れているように見えていた。それがなんも言えずに綺麗であった。