hanabi

昨夜は高知の名物である鏡川祭りが行われた。祭りの醍醐味はなんと言っても90分にわたって打ち上げられる花火だろう。

ここ最近は景気が悪いこともあり花火大会が盛り上がりにかけることもあったが何とか今年も開催にこぎつけたようである。

私は無粋な人間で、花火など近くで見たいと思ったこともなく逆に人ごみが嫌いで今まで花火の会場に足を運んだこともないくらいである。

それが今年は知人の車屋さんから花火が見られる会場を提供するという話があった。ある高級レストランのオーナーの自宅でその日だけ特別に貸切で食事とお酒が出てビアホールのようになるそうである。

そこで妻と子供をつれていそいそと出かけてきた。想像以上に立派な5階建てのビルだった。すべてが自宅だそうで、土地も広く聞くと200坪くらいだとか。建物も素晴らしく、広々としたリビングは生活感がなくおそらく50畳程度だろうか、10家族くらいが集まっていた。それぞれくつろぎながらビール飲んだり食事したり、子供たちはベランダに出てわいわいと騒いでいた。

今までは家の近所の鏡川の堤防から遠くに上がっていく花火を見て、「綺麗だね」と10分程度見たら、「もう暑いから帰ろう」と帰るのが常であった。

初めて間近で花火が上がるのを見た。

火の玉がゆらゆらと上空に上ってゆき、四方八方へはじけてその後どーんと爆音が響き渡る。眼下に見える会場の近くの橋の袂の見物客たちがいっせいに「わー」と声を上げる。

花火は歓声がやまぬあいだにドンドンと打ち上げられ、あたりは夜の闇が一瞬の光の花びらに照らされていた。

久しぶりにいいものを見た。家族で夜店が帰りの準備をしているのを眺めながら歩いてうしおえ橋まで帰ってきた。

なんとも平凡で平和な夏の日の夜だった。こうした平和で平凡な一日は昔は退屈な一日だった。だから暇つぶしにしかならないと避けていた。

昨日も退屈なひと時であり、一人でビールを飲んで5階のベランダ越しに花火をなんとなく眺めていた。ほほに当たる風が気持ちよかった。頭の中にはやはり患者さんのことがあり、自分のこれからの進むべき方向についての考えがあった。

つまり、目の前の花火はただ網膜に映ってはいたが脳にはたいした情報としては認識されていなかった。いつもならそれでおしまいだった。

しかし、今回は違っていた。子供たちの笑顔と歓声、体中で興奮している子供たちを見ていた。また、その子供たちを見つめる妻の優しい瞳が夢想していた自分を現実に引き戻してくれた。ああ、こんな夏のひと時も良いなあ。そう思った。ビールを飲みながら年をとったもんだと思った。46歳の夏が過ぎてゆく。