臨死体験は単なる錯覚? 「幽体離脱」も「お迎えの光」も脳が再生するムービーの可能性

臨死体験がノルアドレナリンのせいだとして、ではどうして人間はノルアドレナリンを臨死の際に放出するようになっているのか?

科学が解明できないことはすべて、このような不思議な現象の「なぜ」である。

そして、そのなぜに人間が存在する意義がある。

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http://rocketnews24.com/2011/11/05/148624/

 

 

幽体離脱の経験はおありだろうか? 幸か不幸か記者は未体験なのだが、世の中には大病や大ケガをしたときに「自分の体を抜けて上から眺める」、「目もくらむような光に引き寄せられる」といった臨死体験をしたという話が数多く伝えられている。

しかし、この臨死体験について「脳の錯覚にすぎない」と指摘する海外の研究報告がある。こうした不思議な体験は、死に向かうプロセスを脳が何とか理解しようとしている、ということで説明がつくらしいのだ。

エジンバラ大学とケンブリッジ大学の研究者は、臨死体験の際に、あの世に導くように現れるといわれる光に着目した。いわゆる「お迎えの光」だが、これは実は、ある細胞が死を迎えることで起こる錯覚の可能性が高いとわかったという。

この細胞は、目に入った光を画像に変換するときに働くものであり、これが死ぬことによって、強い光を見ているような錯覚が起きるらしい。

また、『Trends in Cognitive Sciences(認知科学の今)』という雑誌では、幽体離脱についても科学的に説明できるとしている。

たとえば、臨死状態になっていなくても、バーチャルリアリティのヘッドセットを装着した状態ならば、映像として自分の姿が目の前に現れることもありえる。このときヘッドセットを着けている自覚がなければどうか。自分が体から抜け出したように思えないだろうか。つまり、臨死状態のときには、このように映像が再生されているだけの可能性もあるというのだ。

さらに、臨死体験でよくいわれる「幸福な気持ちがあふれる」という体験についても、ストレスやケガのときに放出されるノルアドレナリンが、ここぞとばかりに出ているからにすぎない、という分析結果がある。

これらが真実というなら、科学があばく真実は、身もふたものないものだと感じる人もいるかもしれない。そう思う人は科学者のなかにもいるようで、たとえ脳が見せている幻影だとしても、実際に感覚がそうなるのなら、それこそが真実だという意見もあるようだ。

鋭い意見だが、やはり科学の検証があってこそ、むやみに死を恐れずに済むようにもなるわけで、研究自体は続行を希望したい。とりあえず記者としては、真実はノルアドレナリンでも錯覚でもいいから、生きているうちは人体の神秘をおもしろがって、後は幸せに包まれて、不思議な体験をして、それで人生終わりなら万々歳! と思うわけだが、みなさんはどうだろうか。
(文=たちばな陽子)

参照元:DailyMail(英語)