医師が不足している。それも救急や外科、循環器科、産婦人科、小児科などの手のかかる患者さんを診療する科目の医師が減っている。
逆に直美といって研修医が終わったら美容外科に進む医師が増えている。このギャップは何だろうか?
知人の子供が研修医が終わったと聞いた時に、何科に進むのかを聞いたことがある。美容外科だということだった。美容外科に行く研修医に対して何という言葉を出すべきだろうか?
もしこれが、循環器科で救急医をしたいという研修医だったら、僕は迷わず賛辞とねぎらいの言葉をかけるだろう。
「患者さんのために頑張ってください。医師としての使命を果たす姿勢は尊敬に値しますよ」
逆に直美に進む研修医に出くわしたら何といえばいいだろうか?医師のあるべき姿は人の命を救うことであるから、美容外科に進んで楽にお金を儲けて華やかに暮らしたいというのは医師のあるべき姿とは思えない。
しかし、一方でこの世は資本主義でルッキズムで政治家は裏金にまみれており、学会は製薬メーカーの寄付金に群がっている。要はお金、資本主義だ。介護も製薬も今は株主資本主義に侵されており、公金を最もむしばんでいる。たまに不正請求で見つかるが、もっと大々的に悪事を働いている匂いがプンプンする。
さて直美の美容外科にすすむ研修医にはこういってあげよう。
「あなたはお金のために楽な仕事を選びました。国立大学で国からのお金を沢山使ってあなたを医師にしたのは人の命を救う医師を要請したい意図があったからです。それを国民は望んでいてあなたの美容外科での活躍をみています。お忘れなく。」
一方で僕は国にも責任があると思う。それはまず医師を人命を救うための仕事とは定義せず、あいまいな姿勢で美容医療を取り扱ってきたことである。もし国立大学の設立の意義を国民の健康を守ることと規定すれば直美問題はなかった。
今の世論では美容外科も健康のためにあるという馬鹿がたくさん出てきて、美容外科を差別するなというだろうが、世間のまともな常識を持った医師は美容外科医に対して、今のご時世だったらしょうがないなあとあきらめと一種のうらやましさ(これは資本主義的な意味)を持って口を濁すだろう。そして心の中では軽蔑している。
また次に日本で今必要とされている救急医や外科医、産婦人科小児科医たちについてである。彼らは疲弊している。僕自身救急で研修して毎週当直する日々だったからよくわかる。
彼らの診療報酬こそ倍増するべきである。それが資本主義だろうと思う。
いま、大学の先生たちに直美について話すと彼らは研修医の意識が問題だという。
そうだろうか?研修医たちは当たり前の経済原則に従っているだけである。大学が医師の養成を国民の健康と命のための資格として制限していないのだから、彼らは自由に美容外科医になっていいのだ。大学ではその彼らに医療に対する意識が間違っているというスタンスでいる。これは間違っている。大学も国も意識の教育を制限をしていない。
だから経済原理に従って研修医はコスパのよい、タイムパの良い美容外科を選んでいる。彼らを制限する心理的、制度的な制限はないのだ。
それが大きな問題である。そして次は現状の医師のコスパが悪いことだろう。