新年明けましておめでとうございます。
とうとう新しい年になった。今年は世界中で大恐慌になると言われている。正月のテレビにも浜矩子先生(同志社大学教授)が出演し、世界恐慌について話していた。
 おそらくその通りになるのだろう。ユーロ諸国の国債の未達も散見されてきてるし、投機筋の強力な先売りもこれから激しくなるだろう。その後、日本国債が投機筋の餌食になるのが先か、アメリカ国債の暴落が先になるかの違いであって、先進国はおしなべて通貨切り下げ、ハイパーインフレになるのだろう。経済通の間では常識となっている。知らぬは仏、といったところだろう。

 閑話休題・・・・ヒクソンである。
一時期日本でも格闘技好きを熱狂させたあのヒクソンのその後を追っていた。テレビ番組だったが結構深いところまで話を追っていた。
 ヒクソンが離婚していること、新しいフィアンセと暮らしていること、そして、RGウエルネスクラブという健康施設を建設中であることなどが放映されていた。

中でも感じ入ったのは、ヒクソンが愛する長男を交通事故で失ったあと自分の人生を考え直したという件である。
普通、日本や先進国と言われる国では世界的なスポーツ選手が引退後、テレビにでて相変わらずセレブ生活を送る、もしくは送りたいと願うのが普通だろうが、ヒクソンはそうではなかった。仕事も減らして新たな家庭を作り、そこに幸福を見つけようとしていた。その点でも戦う哲学者であった。

 彼は息子の死から何を学んだのか?それは人生の時間の限定性だという。生きている間、家族を愛することが一番で仕事によって金銭的なメリットがあっても幸福にはならないというのだ。
 勿論、生活をするための仕事もせずに家族を愛すると言ってもそれも胡散臭い。しかし、ヒクソンはお金のあるなしではなく、家族を愛することが人生の目的だとでも言っているかに聞こえたのだ。

 自分自身48歳になり考えてみるが、たしかに家族を愛することは価値あることだろう。そして、それだけを自分の価値観にすることは同時に困難でもある。自分は仕事をもっと発展させたいし、仕事で社会に貢献したいと願うのも本当だ。
 ヒクソンは毎朝海に入りサーフィンをするという。そして午後に仕事だ。また、家族や仲間を愛する気持ちも忘れない。サーフィンをしてゆっくり自分を見つめ楽しむ時間が必要だという。そして、仕事も充実させることが大切だ。しかし、仕事で得るお金はさほど必要ではないともいう。なかなか、資本主義に毒された我々にはモテない感覚だろう。
 しかし、私もそんな人生を送りたいと思う。それはサーフィン云々ということではなく、自分の家族や仲間を愛する人生を送りたいと思う気持ちである。そんな気持ちを持てれば幸福は遠くないだろう。

 現代に生きていると、仕事して成功してお金を持つことが価値あるものだという風潮がどうしてもある。これは現代の資本主義では当然の考えだろうが、同時にその思想が今の世界での金銭的二極化をもたらしていることも事実である。
 以前にも書いたが、新しい車や新しい服を購入しなければ幸福になれないのだろうか?消費社会にいて、他人よりも高価なモノを身に付けていなければ幸福にはなれないのだろうか?
実は我々は200年前の王族以上の便利な生活をしているのではないだろうか?
それでもマスコミが報道するセレブたちの生活をを見ているとなんだか自分たちがまだまだ貧しいと思ってしまうことが問題ではないだろうか?セレブを崇める風潮に一石を投じる人はいないのだろうか?
資本主義の幸福とブータンのような精神的な幸福のバランスが必要だとおもう。