昨日、保険医協会の市民講演会で高坂勝氏の講演会を聞いた。その後少し食事とお話をした。高坂氏は「減速して生きる:ダウンシフターズ」という本を書かれていて、はじめて講演を聴いた。中でも感じ入ることが多かったので今日はそのことについて書きたいと思う。

著書の初めの部分にこうある。

「お金があれば何でも買える。」と語った若手企業家は表舞台から消え、米国発のグローバル金融は、笑っちゃうほどの弱点を世界中にさらした。(中略)そして私達は忙しくなり、家族と食卓を囲み、趣味を楽しむような日常を失い、生活の質は低下した。その憂さを晴らすかのような消費に、束の間、我を忘れてきた。」

氏の考え方の中心は自分が認めた価値の中で生きることが幸福だ、ということだと思う。我々は資本主義社会に生きていて、大量生産大量消費のサイクルに知らないうちに組み込まれている。確かにそう感じる。

自分が望まない生活をする羽目に気がついてしまった、というところだと思う。今の日本にはそんな問題が多くある。

原発だってそうだろう。誰だってこんなに危険な原発とともに生活なんてしたくなかっただろう。しかし、原発を誘致した地区はお金が欲しかったし、お金は要らないという生き方も選択できなかった。氏のように年収350万円で週休2日で、毎日5時間程度しか働かない飲み屋のマスターなどの職業よりも、お金を落としてくれる原発を選択したのだ。

いまだに自民党の議員を中心に原発を地下に安全に作ろうという動きがある。地下で同じことが起きたら安全どころかもっと大変だと馬鹿でもわかりそうなものだが、彼らにはわからないらしい。キット経団連の票が欲しいのだろう。また、電力会社労組の票が欲しい現政権もとうとう原発廃止を打ち出せないでいる。また、マスゴミの世論調査では原発は仕方ないから必要だという人が60%もいるというが本当だろうか?本当なら都会に是非原発を作って欲しいものだ。

日本のマスゴミによる世論調査は信用できないのだが、ネットの調査などによると殆どの国民が原発は要らないと考えていると思う。日本人はそれほど強欲な民族ではないだろう。一部のお金至上主義者がそう思っているだけだ。

また、原発が停止したら電気が足りないと電力会社は大声で叫んでいるが、なくなっても丁度1985年当時の電力消費量に等しい。あの頃バブルの頃、何か不自由があったかと考えると今以上に馬鹿騒ぎしていた気がする。今は国民中がもっと馬鹿のように電力消費するように仕向けられているのだろう。

1985年当時と現在とでは時代が違う。今は輸出するために工業製品を作る電機が沢山必要だという声が聞こえてきそうだ。しかし、実際には日本経済の輸出依存度は1985年が14%に対し2009年度では11%に低下しているのである。当然企業がアメリカやヨーロッパに生産拠点を移したからである。

日本がいかに世界中でも無駄な電力を使っているかを見たらいいと思う。自分達が間違っていることはなかなかわからないものだ。今回氏のように世間で言われる出世やお金にこだわりを捨てた人の生き方を聞いて、素直に感動した。

日本は明るいね。アジアでもダントツ。

ヨーロッパはどうでしょうか?
日本だけが馬鹿騒ぎと言われそう!

氏の書評があったので追加。

http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2010/12/post-234.php