余命について

余命について宣告されるのはどんな気持ちだろう?「あと数ヶ月の命です」といわれたら、私だったら反発する。
 逆に余命について神様じゃないから解りませんといわれても頼りない。望ましいのはどんな宣告だろうと考えてみる。

ほとんど多くの患者さんは詳細な余命宣告は受けていないと思う。後数ヶ月で余命ですとは言わないだろうがデータ的には半数の方が後数ヶ月でなくなるデータになっています、こんな言い方が多いようだ。

データを重視して余命を宣告する。
悪くないかもしれない。少なくとも現代医学はデータを重視していることは間違いない。
データを重視して納得する患者さんになるか、自分だけはデータ的には例外的な患者さんだと思うか、結構それが余命を変えたりすると私は思っている。

実際にガンが出来ていることは間違いない。しかし、みんなが同じ経過をたどることは無い。人生はすべてそんなものだろうか?
希望に燃えて頑張って努力する人生もあれば、最初から希望なども無く普通に生きる人生もある。

統合医療を受ける患者さんには自分の意思でこの治療法を探してえらんできた人が多い。自分の人生を自分で決める。この基本的な意志が余命を延長する奇跡を起こすのである。

私だったらこういいたいと思う。
「データはこうなっているがこれには大学病院で抗がん剤を使ってほかの治療をしなかったひとたちのデータです。
あなたが積極的にいろんな治療の可能性を試して行けば違った余命になる可能性は十分にあります。」

人間は唯物論的な物質で出来た肉体をもった存在であります。と同時に精神的なものであり霊的な存在でもある。
体の細胞がガンになったからといって細胞だけを直せば治るというものでもない。体と心はつながっているし不思議なことに霊的な力も影響する。

常に希望をもち自分の人生を行ききることが肝要である。体のことだけでも保険医療とそれ以外の治療とがある。現在の日本の狭い医療の常識とやらにとらわれたら余命は短くなっても長くはならないだろう。