不食の人

 

不食の人がいるらしい。不食の人とは文字通りに食べなくても生きてゆける人のことだ。

 

国内で出版されている不食について書かれた本はいくつかあるが、実際に全く食べないで生きていると主張している人は、秋山氏だけである。「食べない人達」に出てくるあとの二人は、一人は青汁だけで生きていると主張し、もう一人はたまに食べていると言う事らしい。

また、俳優の榎本氏が30日間断食したことについて書かれた書物もある。そもそも不食は全く食べない事であるから断食では不十分だ。

全く食べないで人間が生きてゆけるかどうかについては、常識では生きてゆけない。中には生きてゆけると主張する人もいるが、その人の主張に付き合ってそれをまじめに研究する研究機関もない。

インド・アーメダバード(Ahmedabad)の病院で、国防省研究機関の医師団による観察を終えて会見する自称「70年間断食」のプララド・ジャニ(Prahlad Jani)さん(201056日撮影)。

70年前から食べ物も飲み物も摂取していないという83歳のインド人のヨギについて、15日間にわたって調査したインドの科学者たちが、観察期間が何事もなく終了したことについて報告していた。15日間24時間観察した結果、水分も食事もとらず、排尿も排便もなかったと言う事らしい。

「観察期間を終えた神経学者のSudhir Shah氏は、記者団に『(ジャニさんが)どのように生き延びているのか、わからなかった。何が起きているのか、まだ謎のままだ』と驚きを表明した。Shah氏は

『ジャニさんがエネルギーを水や食料から得ていないのであれば、周囲からエネルギーを得ているに違いない。エネルギー源が日光の可能性もある。医学専門家として、われわれは可能性から目を背けてはならない。カロリー以外のエネルギー源があるはずだ』と述べた」

 

つまり、どうやって生きてゆくためのエネルギーを得ているのかわからなかったと言う事らしい。血液データの詳細がわかれば少しコメントもできるが、それは報道されていなかった。拝尿排便がないなら、腎機能は保たれているのかどうかわからない、腎機能が保たれていなければ、尿中に排泄されるべき代謝産物、老廃物は蓄積されてしまい、人間は死んでしまう。そこはどうなっているのか?また、排便もないなら、腸内細菌叢はどうなっているんだろうか?腸内菌がなければたんぱくも作るれないし、ビタミンなども摂取しなければ枯渇する。細菌が作っていれば納得もできるのだがそれも不明のままだ。

多くの場合、人間である限り代謝活動のメカニズムは共通であるはずだ。ジャニさんだけが突然変異を起こしていても、生き残っているのだから相当確率が低いが、生き残れる変な突然変異を起こしていると言う事になる。

 

日本人の女性で青汁だけで生きている方の便は大阪大学で研究されていて、腸内細菌叢が牛に似ていて、腸内でたんぱく質やビタミンなどを作れることがわかっている。納得できる話だ。牛が実際に草だけ食べて食物繊維からあれだけの肉を体につけているのだからたんぱく質も脂肪も合成されるんだろうなと理解できる。

ところが全く食べないでたんぱく質やビタミンなどが体内合成されるというのは現代の科学ではありえないことだ。

材料がなければ作れないからだ。その意味ではジャニさんは特異体質なのだろう。または稀代の詐欺師かのどちらかである。

日本人でも自分が不食であると公言している人もいるが、全く水分すら取らずに生きていけるかどうか不思議である。人間は不食になれるなんて、一種のおとぎ話であるがこの手の話を信じ切る人がいるからこれも不思議である。

 

断食でも人間は結構長期間生きていられる。限られた水分でも結構頑張れる。以前チリの鉱山事故があり18日間食料送られなかった。それでも33人は生き残った。宗教界では断食はさらにポピュラーである。先ほどのジャニさんもそうだが、ヒンズー教や仏教では断食は良く行われている。ヨガも瞑想修行も本来はヒンズー教、仏教の悟りを得るための修行である。そこに断食はセットになってついている。今でも1週間程度の断食は仏教の修行ではよく行われている。医療でも断食治療は行われる。胃潰瘍や大腸の疾患では断食が治癒系を大いに促進し、治療の一環として行われている。実際に肥満の治療でも一日一食の小食は非常に治療効果が高い。

医学的には断食や一日一食をすると代謝が急激に落ちることが知られている。今までの基礎代謝が大幅に落ちるのだ、下手すれば半分程度になる。すると食べなくても生きてゆける、少量で生活ができるようになる。これは普通に暮らしていても周りに小食の人がいるから理解しやすい。代謝が落ちると老廃物も少ないので体内の活性酸素がへり老化が進みにくい。だから健康に良いとされている。一方で小太りくらいが長生きするという統計もあるように、食べなければ長生きでもない。それに小太りでもやせぎすでも、不老不死はないのだ。

 

人間の進化でいうと、すべての人間は生き残りゲームを勝ち残って来た人間の子孫である。食料が少ないときには少ない食べ物を分け合って生き残って来た人もいただろうし、中には自分だけが食べ物を奪い取り生き残った当時の権力構造の頂点周囲の人もいたはずだ。北朝鮮の主席と庶民を見たらよくわかる。強い奴が生き残ってきた。人間は食べ物を摂取して子孫を残し、食べれない人は飢えに苦しみながら死んで来た。文明の力で豊かになり食料が豊富になっても時におきる天災や食糧危機で生き残った者たちの子孫が我々だ。その意味では我々は食料が少なくなったら代謝を下げる遺伝子を持っていて、できれば食べなくても生き残れるシステムを体の中に持とうとしているのかもしれない。

 

しかし、不食の人になりたい人はいるのだろうか?人間の進化にはモチベーションが大切である。たとえば鳥は羽が生えてないと生き残れなかったから羽が生えて飛べるようになったのである。それは環境に対する適応力とも言い換えられる。環境に適応するために我々は進化する。食事を食べない環境を求める人類がいるのだろうか?断食が健康に良いことはわかるが一切食べなければミイラにようになって死ぬことも分かる。不食の人達は自分が不食であることを自慢げに声高々に主張するが、誰が不食になりたいのだろうか?また、本当に不食の人は秋山氏だけである。1億2千万人のなかで1人だけの例外である。(本当に水分すら取らなければだが、ひょっとしたらただ単純に目立ちたがり屋の嘘つきなのかもしれない)

 

不食の人になりたいとは私は思わない。不食であって不老不死、少なくとも150歳くらいまで老化しないのならやりたい人は沢山出てくるかもしれないが、そのような事実もない。ジャニさんのようなヨギもまた、普通の人のように死んでゆく。だったら、不食に何の意味を見出すのだろうか?ましてそれが人類の進歩などという大げさなものでもないだろう。

まず不食が本当かどうかだが、ジャニさんが本当だとしてもヨギの生活は人間の理想でもないだろう。他人のおこぼれを頂いて自分の為だけにヨガの修行をしているのだ。ほとんどがたとえそれで悟りが得られているとしても、欲望を捨てて生きることはあまりクールな生き方だとは思えない。それなら知能の発達も科学の発達もないし、進化論も分からないままだからである。いわゆる仏教の聖人達が尊敬されるのも、この欲望のうずまく人生をいかに幸福に生きてゆくかについて知恵があるからだ。それは欲望のコントロールであって欲望の否定ではない。生きるという欲望は否定できないものだからである。